肢体不自由(身体障害)・高次脳機能障害(精神障害)の仕事・就職事例 -事務-
夢は「自分で運転して出かけられるようになる」
男性/20代/データ入力/製造業
選べるサービスの選択肢が少ない
高校時代に、スキーの事故で脳挫傷を負ったRさん。幸い一命は取りとめましたが、右半身の麻痺と高次脳機能障害が残りました。長期の入院生活とリハビリが必要となり、高校は中退。退院後も懸命にリハビリに励み、左手で字が書けるようになり、出にくかった言葉もゆっくりと出るようになるまで回復しました。
「入院とリハビリで家族には迷惑をかけてしまったから、早く自立したいと思っていました」
しかし、家が農村部にあったため、利用できる福祉サービスに選択肢が少なく、自分の父親と同じくらいの年代の利用者の方が中心の施設に通っていました。
「本当はもっと若い人たちと交流したい!もっとできることを増やしたい!」と、Rさんは長い間望んでいましたが、だんだんと投げやりな気持ちになっていったそうです。
「年齢の高い利用者が多いとパソコンのトレーニングも進行がゆっくりで、あまりできることが増えている感じがしないとこぼしていました」
当時のRさんは、かなりふてくされぎみで、「どうせ就職なんてできないんだ」と落ち込むこともしばしばあったとのこと。ご両親もなんとかRさんを支援していこうと、福祉サービスを探す日々が続きました。
そんな時、なんとか通える範囲にLITALICOワークスがオープン。スタッフや他の利用者にも若い人が多く、Rさんの希望にピッタリ。さっそく利用することを決めました。
毎日が学びの連続
自宅から通えるギリギリの範囲にあったため、まずはLITALICOワークスまで通うことが第一目標となったRさん。公共交通機関を乗り継ぎ、毎日きちんと通うということだけでも一苦労でした。
またRさんには社会経験がほとんどありませんでした。そのためビジネスマナーや社会常識はほぼゼロの状態。LITALICOワークスのカリキュラムでは、言葉遣いや身だしなみの整え方などの基本的なところからスタート。毎日が学びの連続でした。
マナーと技術を身につけ、準備が整ったので次は就職活動!というステップですが、ここでもやはり通勤の壁が。自宅から通勤できる範囲に限りがあり、就職活動も苦戦を強いられました。スタッフとRさんは仕事内容を絞り過ぎず、とにかく地元の企業の求人を探し続けました。半年以上、不採用が続く中でもRさんは落ち込むことなく就職活動を続けました。
「落ち込む時間があったら、もっと求人を探して就職活動をしたいので」
その言葉に、スタッフのほうが励まされているような状態でした。
いつの間にかトークも自信を持って話せるようになったRさん。ついに、家から通える範囲でデータ入力のパートの仕事に巡りあいました。
地道な努力でつかみとった仕事は相性も抜群
前向きな性格のRさんは、パートの方々との相性バッチリ!
「R君はまっすぐで素直でしょう?おばさん達、つい甘やかしちゃうのよね」と、職場ではすっかり人気者に。
「運転免許を取って自分の運転で出かけられるようになることが、今の目標です。今の仕事は働きやすいから不満はないけど、もっと色々なところに行ってみたいので」半年間、スタッフと企業を訪問し続けたアクティブさはいまだ健在。現在もきちんと仕事に通い、同僚の方々と一緒に仕事を続けられています。
※プライバシー保護のため、一部の文章について事実を再構成しております。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)はインタビュー当時のものです。