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障害のある方の就職事例

高次脳機能障害(精神障害)の仕事・就職事例 -仕分け-

高次脳機能障害(精神障害)の仕事・就職事例 -仕分け-

高次脳機能障害でも仕事はできる

男性/40代/食品/仕分け

高次脳機能障害(精神障害)

30代、続けて障害と診断

小さい頃から車が好きで、車をカスタムしていた父親の影響もあり、専門学校へ進学・資格を取って整備工場の整備士として働いていたFさん。いろいろなメーカーの車が並ぶ姿を見ながら仕事をして、結婚もして充実した日々を送っていました。

30代になると、次第に視界がぼやけたり物忘れが激しくなったりしました。違和感を感じて医療機関を受診すると、「多発性硬化症(※)」と診断されました。
※脳や脊髄などあちらこちらに病巣ができ、症状が再発・寛解を繰り返す病気

 

その後も会社へ事情を説明して自動車整備士としてしばらく働いていました。しかし眩しくて目が開けられない・目を開けると痛みが出て開け続けられないなどの症状が表れ、検査入院をすることに。

結果は「高次脳機能障害」。診断後、即入院することになりました。Fさんの家族はもう1つ障害が増えたことに衝撃を受けるも、医師から「高次脳機能障害」についての対応方法などの説明を受けたそうです。

入院中は活動範囲も限られており、病院内で手伝ってもらうことが多かったため高次脳機能障害の症状がそこまで目立たずに安心していました。しかし退院後、家庭内でリハビリをはじめると、今までできていたことが全くできず、家族は愕然としました。

しばらく外出を全くせずに自宅にこもるようになり、ぼーっと過ごす日々。家族は社会との関わりを持って欲しいと願うも、1人で慣れていない所に出かけて迷ってしまうと大変なことになると思い、しばらく葛藤していました。

インターネットで色々と調べていると、就労移行支援事業所で就労に向けた準備・就労の支援があると知り、Fさんと一緒に3ヶ所見学へ行き、雰囲気とアクセスの良さからLITALICOワークスへ通うことになりした。

高次脳機能障害と向き合う

Fさんは電車に乗って外出するのは数年ぶり。はじめは週3日から通うことにしました。「自分に何ができるのか分からないけれど、できることを明確にして一般就労で働く」という目標を立てました。

また眩しい所(太陽・蛍光灯など)が苦手でサングラスをかけることが条件にあり、LITALICOワークスでも常にサングラスをかけていました。一見、びっくりする利用者もいましたが、Fさんが穏やかな性格のため問題が起こることはありませんでした。

高次脳機能障害の特徴として、記憶障害・注意障害・遂行機能障害・社会的行動障害がありますが、Fさんは記憶障害と遂行機能障害があります。

特に記憶障害が目立っており、事業所内でスタッフに同じことを繰り返し質問したり、新しいものを覚えることが難しかったり……昨日おこなったトレーニングを覚えていないことが多々あり、スタッフは「メモリーノート」をプログラムに取り入れました。

「メモリーノート」は、忘れてはいけないことや覚えておきたいことをノートに書き、それを手がかりとして作業や生活が管理できるようにするための代償手段の1つです。

Fさんもノートに今日おこなうトレーニングや毎日実践することなどを書き、常に持ち歩いていました。はじめはノートに書き忘れたり、書いても見ないで質問することがあったりしましたが、徐々に書き忘れや質問数が減り、「常にノートを見る・書く」を繰り返しおこない身に付けていきました。

より行動に合わせた方法を探る

Fさんは、計画を立ててものごとを実行することが難しい・指示がないと何もできないという遂行機能障害の症状もあり、指示がないとずっと座っていることが多いため、スタッフはTODOリストを作り一覧化しました。

しかし、TODOリストを作っても座っているだけの時間が減りません。あるスタッフが個別プログラムの予定がある日、最初からFさんの行動を観察することに。すると10分もしないうちに原因が判明しました。

ファイルを開くとTODOリストが見えるようにしておいたのですが、Fさんはファイルを開かずに座っています。すぐにファイルの表紙にリストを貼り直し「見える化」すると、座っているだけの時間が少なくなりました。

その後、SST(ソーシャル・スキル・トレーニング)やグループワーク、手先を鍛える作業のトレーニングなどできることを少しずつ増やしていきました。

自分にできる仕事とは

やがてFさんは、週5日通うことや個別プログラムで作業をすること、グループワークで発言することもできるようになり、就職活動をするために求人を探してみることにしました。

スタッフが検索の仕方を一緒にやって見せ、その後1人で検索してみるよう促しましたが、Fさんの手は止まったまま。スタッフが声をかけると、「何ができるかわからない」との発言が。今の自分に何ができるかを探すため、実際に仕事を体験する企業インターンを勧めました。

スタッフが探した企業インターンでの仕事は清掃スタッフ。Fさんにとって想定外の職種でしたが、最寄りの駅からバスで1本とアクセスが良かったため快諾。

初日はスタッフと一緒に企業へ向い、教わったことをノートに書く……と順調でした。しかし2日目の朝、企業からFさんが来ていないと連絡が。

スタッフがすぐ連絡した所、Fさんは全く違う所にいて、迷っているところでした。話を聞くと送迎バスが何本か通っており、違うバスに乗ってしまったためたどり着けなかったことが判明しました。5日間のうち2日たどり着けず、スタッフが駆けつけることになりました。

企業インターンを終えて分かったことは、難しい仕事ではないため清掃もありだと思えたこと、アクセスが複雑でなくても似たような送迎バスがあると迷ってしまうことでした。企業インターンは仕事以外にも、気づくことがあるというメリットがあります。Fさんも就職に向けて2つ新たな気づきがありました。

残り2ヶ月で飛び込んできた求人

就労移行支援事業所を利用できる期間は原則2年間と決められています。企業インターン後、求人を見て応募したり模擬面接をしたりしていましたが、期限まで残り3ヶ月くらいになるとスタッフに焦りが。

家族の望みでもある「社会との関わりを持つ=一般就労」への道が怪しくなり、このままでは就労移行支援B型事業所へ行く道も考えなければいけないと思いつつも、諦めず求人探索に励みました。

刻々と過ぎる日々の中、スタッフはハローワークからパン工場で仕分け業務の求人を紹介されました。アクセスも仕事内容もFさんにぴったりだと思い、さっそく意思確認をすると「やってみないと分からないから、応募したい」との回答が。

とんとん拍子に話が進み、雇用前の企業インターンが決まりました。仕事内容はライン作業で流れてきたパンを段ボールに詰める作業がメインでした。

諦めかけていた就職

企業インターンの初日はスタッフが同行し、当日終了後にFさんに確認すると、「ペアで仕事を進めるため不安が軽減される」「職場がサングラスをかけなくても大丈夫な明るさ」と好感触でした。

残り4日間、迷わず出勤できるかスタッフは心配していましたが、5日間とも始業前に出勤できていたと企業担当者から聞き安心しました。後日、真面目でていねいに仕事をしていたことが評価され、正式に採用となりました。

就職が決まると家族がとても喜び、その姿を見てスタッフは安堵しました。「このまま就労移行支援B型事業所へ行くことを覚悟していた」とこっそり報告されました。

入社後1~2週間で何度か迷ってしまったこともありましたが、その後は問題なく出勤できており、再度家族から「仕事をしている方が家にいる時より生き生きとしていて、就職できてよかったです」と連絡を受けました。

定着支援を目的とした毎月の面談では、「問題なく仕事ができていること」「自分で稼いで得た給与で家族と外食したこと」などの報告を受けています。

つい最近も何か困ったことがあってもスタッフが付いているという安心感があり、定着支援があって良かったとFさんからうれしい言葉をいただきました。企業からの評価も良く、現在も頑張って働いています。

 

※プライバシー保護のため、一部の文章について事実を再構成しております。

※掲載内容(所属や役割、診断名など)はインタビュー当時のものです。

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