先天性パラミオトニアの診断。ひきこもりを経て、人と接する楽しさを取り戻す
プロフィール
- Hさん
- 年代 : 20代
- 就職先企業 : 沖縄市教育委員会 沖縄市立図書館
- 診断名 : 先天性パラミオトニア合併てんかん
困りごと
- 寒さで身体が硬直する
- 硬直すると一切動けない・起き上がれない
- 右半身の麻痺
目次
目次
- ストーリー
- てんかんの発作で病院に運ばれ、先天性パラミオトニアと診断
- 先天性パラミオトニアが原因でひきこもりに
- 人との触れ合いで閉じていた心がだんだんと外を向くように
- 数年前は想像すらしていなかった自分自身の働く姿
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ストーリー
先天性パラミオトニアと診断されたとき、Hさんは中学2年生でした。当時てんかんがありながらもバスケットボールに打ち込むスポーツ少女だったHさん。疾患により運動ができなくなり、車椅子で生活することになりました。気持ちの整理ができず、その後数年間家族以外の関わりを断ち、家にひきこもって生活するように。
その後、LITALICOワークスに通ったことで、気持ちが外に向き、だんだんと本来の明るさを取り戻していったのです。
Hさんには、先天性パラミオトニアと診断されたときのことから、家に閉じこもって生活していたときのこと、そしてLITALICOワークスを経て現在の仕事に就くまでの経緯をお聞きしました。
てんかんの発作で病院に運ばれ、先天性パラミオトニアと診断
——先天性パラミオトニアという疾患名を初めて聞きました。どのような疾患なのでしょうか?
先天性パラミオトニアは、神経筋疾患のひとつです。寒さにさらされると、身体が硬直したり、起き上がれなくなったりすることがあります。先天性の疾患ですが、発症しない場合もあるようです。私の場合は中学2年生の頃に突然発症しました。
——診断された経緯を教えてください。
私は元々てんかんがあって、中学2年生のときに倒れて病院に運ばれたときも「疲れでてんかんの発作が出たんだね」と言われました。でも、その後すぐにまた発作が起きて、大きな病院で検査を受けることになりました。そして、先天性パラミオトニアであることが分かったんです。
——今現在はどのような症状があるのですか?
寒さで症状が出るので、暑い時期は特に問題ありません。でも冬になると全く動けなくなることもあります。そういうときは布団を重ねたり、湯たんぽやカイロを使ったりして、身体を温めると30分から1時間くらいで楽になり動けるようになってきます。
先天性パラミオトニアが原因でひきこもりに
——先天性パラミオトニアと診断された当時はどのように過ごされていましたか?
診断された中学2年生の頃は小学校から続けていたバスケットボールに打ち込んでいました。でも、診断が出たことで大好きな運動ができなくなってしまい、とても辛かったです。本来仲の良い親と揉めることも増えましたね。そのうえ、当初は今よりも症状が酷く、車椅子を使わなければいけないことも…。高校にも車椅子で通いました。元々バスケットボールが大好きでアクティブな方だったので、車椅子生活がすごく辛くて、高校も中退してしまったんです。
——高校を中退されてからはどのような生活を送られていたのでしょうか?
高校を中退したのが17歳の頃で、それから5、6年はずっと家に引きこもっていました。人の目が気になってあまり外には出られませんでしたね。人と目線を合わせることすら嫌だと思っていましたし、たまに外出するときは常に親と一緒でした。
——そのときはどのような気持ちだったのですか?
もうどうでもいいやという投げやりな気持ちだったと思います。仕事ももうしなくてもいいや…という感じでした。
——その後、LITALICOワークスに通われていますが、どのようなきっかけがあったのでしょうか?
仕事なんてどうでもいいと思っていたのですが、今は親に頼れてもいつか親は自分より先にいなくなると考えると、なんとかしなければという気持ちになったんです。母に「仕事をしたいけど、どうしたら良いか分からない」と相談したら、母が一緒に役所に行ってくれて、そこでLITALICOワークスを紹介されました。
——それまでご家族は「働いたら?」などと言うことはなかったのですか?
一度もありませんでした。私が自分から「働く」と言うのを待っていたみたいですね。なので、私が「働きたい」と言ったときには、背中を押してくれましたし、働ける方法を一緒に探してくれました。
人との触れ合いで閉じていた心がだんだんと外を向くように
——LITALICOワークスを紹介されてすぐに動かれたのですね。
はい。すぐに体験をしてみることにしました。自分の気が変わらないうちに行動した方が良いと思ったんです。
——ほとんどの時間を家で過ごした数年を経て、LITALICOワークスに通われるようになってどうでしたか?
最初はやっぱり人と目線を合わせること、話すことは苦手でした。でもスタッフの皆さんが優しく接してくださったので、だんだん慣れてきました。そして、いつのまにか人の目を見て話せるようになっていたんです。“いつから”できるようになったのか、“どうして”できるようになったのかは覚えていません。大きなきっかけがあったわけではないのですが、きっと人と接することや話すことがだんだんと楽しくなってきたんだろうなと思います。
——LITALICOワークスでの一番思い出はなんですか?
好きだったのは毎週金曜日にやっていたチーム作業です。ファイリングなどの作業の速さをグループごとで競うもの。細かい作業自体は得意ではなかったのですが、チームプレイが大好きなので、毎週楽しみにしていました。
——仕事に役立っていることはどんなことでしょうか?
パソコンです。元々動くのが好きだったので自分がパソコンを使うなんて想像もしていませんでした。でも、LITALICOワークスでほぼ初めてパソコンに触れて、ものすごく楽しかったんです。当時はタイピングも指一本で打っていましたが、LITALICOワークスに通っているあいだにブラインドタッチもできるようになって、今の仕事にもとても役立っています。
——今の仕事に就いた経緯を教えてください。
最初は身体のことを考えて、在宅でできる仕事が良いのかなと思っていました。でも、外で人と接する仕事をしようと思っていた時に、LITALICOのスタッフから図書館実習の紹介があり、体験は大事だと思いやってみることにしました。体験を通して、環境と働いている方の接し方がよかったので、この職場を選びました。また、家からすぐ近くというのも私にとってはプラスでした。
数年前は想像すらしていなかった自分自身の働く姿
——実際に働き始めていかがでしたか?
図書館はそれまで利用したことしかありませんでした。表の部分しか見ていなかったので、図書館の仕事の幅がこんなにも広いことにとても驚きました。
——今は具体的にどのようなお仕事をされているのでしょうか?
主に伝票の作業を担当しています。システムを使って請求書を決済に回すという作業です。また電話対応をすることもあります。電話はものすごく不安なことのひとつだったのですが、聞き取れないときは「もう一度お願いします」と言えばほとんどの場合は繰り返してもらえるので、今は電話を取るときもあまり緊張しないで済むようになりました。
——働くうえで心がけていることはありますか?
分からないことはそのままにせずに、必ず聞くようにすることです。でも、今は働き始めて少し時間が経ったので、聞く前にはなんとか自分で解決できないか考えることを心がけるということを加えるようにしています。
——職場に配慮してもらっていることはあるのでしょうか?
通院のためのお休みです。今は2ヶ月に一度のペースで通院していますが、予約日は事前に分かっていることなので、その日はお休みを調整させていただいています。
——これからの目標はありますか?
働き始める前にこの職場は自分に合いそうと思った“勘”は当たっていて、とても楽しく働いています。次の目標は正社員になること。それには市の採用試験に合格する必要があり、筆記試験などもあるのでそれに向けて頑張りたいと思っています。また、体も少しずつ良くなってきているので、。趣味でバスケやウォーキングに取り組んでいます。
——最後に、HさんにとってLITALICOワークスはどんな場所ですか?
シンプルに楽しい場所です。LITALICOワークスに通い始める前の数年間、ひきこもりだった私はこんなふうに働いている自分の姿を想像することすらできませんでした。仕事どころか、人と関わることも諦めていたので。今の私があるのは、LITALICOワークスのスタッフの方のおかげです。人との関わりや外に出ていくことの楽しさを改めて教えてもらえたと思っています。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)は
インタビュー当時のものです。
企業からのコメント
沖縄市教育委員会 沖縄市立図書館 玉城 様(右)
スタッフからのコメント