適応障害(精神障害)の仕事・就職事例 -アパレル・事務-
前職の経験をいかして仕事の道を切り開く
男性/30代/アパレル/事務職
適応障害(精神障害)
大好きな仕事がストレスに
ホテルのフロント職を経験したのち、大好きなアパレル企業へ転職、30代になってからアパレルショップの店長として働いていたJさん。
仕事もプライベートも充実してきた頃、上司からエリアマネージャーへの昇格を打診されました。仕事の幅が広がり忙しくなるというより給料が上がることにメリットを感じ、エリアマネージャーとして働きはじめました。しかしJさんが想像していた以上にエリアマネージャーの仕事は大変だったそうです。
担当エリアにある複数のショップを仕切り、予算達成へ向けた店舗運営、新規オープンの対応・スタッフの指導や育成、市場調査など単独でおこなう業務が多く、何が正解かわからぬまま不安を抱えて仕事をしていました。
上司に相談したり同僚に確認したりする余裕がなく仕事をこなし、疲労とストレスをためるばかりの日々を送っていました。体調を崩すことが多くなり、激しい頭痛や動悸・息切れで職場に行くことができなくなってしまったとのこと。
仕事のことを考えると憂うつになるため、うつ病になったかもしれないと思ったJさんは精神科へ。そこで「適応障害」と診断されました。適応障害という言葉にピンとこないJさんは、うつ病と適応障害の違いや今後どうすればいいかなど主治医と相談し、一旦休職することに。
休職中も仕事のことが頭から離れずに激しい頭痛が止まらず、焦りや不安に駆られていました。主治医と相談の結果、カウンセリングで原因が仕事であることが判明していたため、退職して体調を整えることにしました。
大好きだったアパレルの仕事がいつの間にかストレスになっていたことに驚くも、職場の理解が得られず、このまま働き続けるのは厳しいのではと家族からの助言があり、退職が決まると少し楽になったそうです。
障害への理解ある会社で働きたい
仕事のことを考えなくてよくなったため、頭痛や焦り・不安がなくなると思っていたのも束の間、このまま無職が続いたら……と考え込んでしまい、転職活動をはじめようとすると、うまくいかなかったらどうしようと考え込んでしまうJさん。
その度に頭痛・不安が出てなかなか行動に移すことができませんでした。このような状態で転職活動を続けることへの限界を感じ、適応障害に理解のある会社で働きたいと考えるようになりました。インターネットで検索していたら「就労移行支援事業所」という福祉サービスがあることを知りました。
近隣で通いやすそうなLITALICOワークスへ相談することに決め、今後のためにも障害者手帳の申請をしました。LITALICOワークスの見学時に「今まで障害のある人を見たことはあっても、まさか自分が適応障害と診断される側になると全く思っていなかったので、今後どうすればいいかわからない。体調を戻してから仕事がしたい」とスタッフへ現状の気持ちをストレートに伝えたJさん。Jさんの体調をよくよく考え、まずは週4日から通うことになりました。
自己紹介がうまくできない
利用当初は頭痛で休むこともありましたが、2ヶ月後には週5日通えるようになりました。他の利用者ともすぐになじむことができました。
グループワークで積極的に発言したり模擬会社を想定した部署活動でみんなの意見をまとめたり、リーダー気質を発揮していたため、スタッフは就職活動を始めるまでの期間が短くても大丈夫だと思っていました。
しかしスタッフの考えが一変する事態に。模擬面接や「自己紹介書を作成する」「職務経歴書を作成する」というプログラムで大苦戦。……自分のことを説明するとなると、文章にすることも話をすることもまとめきれずとても長くなってしまうことが判明しました。
模擬面接で「自己紹介をしてください」と伝えると、5分以上話してしまうことがありました。要点を絞って端的に伝えられるように何度も練習したり、時間を計ったりして1分ほどにまとめられるようになりました。
書類に関してもスタッフが添削しながらわかりやすく記載する練習をしました。希望職種についてスタッフと何度も相談しました。前職のエリアマネージャーのように移動を伴う仕事は向いていなかったと判断し、事務職を目指すことに。
しかし求人に応募してもなかなか書類が通らなかったり、希望する勤務地に求人がなかったり……求人を見ても自分が働いているイメージがつかない先へ進めない状況が続きました。スタッフが心配して声をかけると「1人で就活をしていた時より全然気が楽。まだ頑張ります」と冷静でした。
自分の働くイメージがついた
LITALICOワークスには利用者専用の求人検索サイトがあり、全国にあるたくさんの求人を見ることができます。この求人検索サイト内にある新着求人でアパレル本社での事務を見つけたJさん。
今まで自分が働くイメージがつかなかったことが嘘のように視界が広がり、この企業で働きたい!と初めて感じ、嬉しそうにスタッフへ報告して書類作成に打ち込みました。
面接日の設定をしたスタッフがJさんの熱意を前にして、また面接で長く話してしまわないかと不安がよぎったため、模擬面接を繰り返しおこないました。
はじめは熱意が先行してしまい自己紹介・志望動機がとても長くなってしまいましたが、スタッフのフィードバックをいかして端的に伝えられるようになりました。
面接当日、緊張から頭痛が出たものの手ごたえはあったと思うと報告してくれたJさん。数日連絡がなく落ち着かなくなっていた所に内定の連絡が!一時期はどうなってしまうのかと思っていたので大好きなアパレル業界でまた働けることが嬉しくて仕方がないと、今までにない満面の笑みがこぼれました。
自ら仕事の道を切り開く
勤務開始をしてからすぐに思わぬ壁にぶつかってしまったJさん。1日のうち手が空いてしまうことがたびたび発生し、時間を持て余してしまうことが何日も続きました。
1週間経っても状況が変わらず、スタッフへ「忙しかった日々も辛かったけれど、暇な時間を過ごすことも辛い」と電話で相談。自分からはなかなか言い出せないし、スタッフから担当者へ掛け合うことも控えたい、もう少し様子を見てからにしたい、一旦話を聞いてほしかったとのことでした。
それから仕事があまりない日々を一変させる出来事がありました。急に数ヶ所ある商業施設での期間限定ショップ販売をすることになり、社内はバタバタしているもののJさんには席に座っていてという指示がありました。
しかし元アパレルの店長やエリアマネージャーの経験があるJさんには座っていられず、手伝うことを名乗り出ました。Jさんの経験が十分に発揮され準備万端で送り出し、期間限定ショップ運営も大成功に終わったそうです。
Jさんはこの出来事で他部署の方々から一目を置かれる存在となり、所属部署以外からも仕事の依頼がありとても充実しているとうれしそうにスタッフに話してくれています。
当時、Jさんが入社した会社ではJさんがはじめての障害者雇用採用。担当の方がどう対応すればいいかわからず、仕事の振り分けができなかったそうです。その後、障害者雇用枠が出たらJさんからもスタッフへ連絡がくるようになりました。現在は数名の方がLITALICOワークスから勤務しています。
※プライバシー保護のため、一部の文章について事実を再構成しております。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)はインタビュー当時のものです。