統合失調症のイメージを社会から変えたい
プロフィール
- Kさん
- 年代 : 30代
- 就職先企業 : セントラルヘリコプターサービス株式会社
- 診断名 : 統合失調症
困りごと
- 妄想
- 短期記憶が弱い
目次
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統合失調症!?気づいたら病院に
統合失調症の診断が出たのは大学3年生のとき。当時は都内の大学で財政学のゼミに入り、国家公務員の勉強をはじめたところでした。
その頃からだんだん体調がおかしくなっていったような気がしています。国家機密を知ってしまったと思うようになり、自分は狙われていると周りに発言したり、SNSに変な書き込みをしたり。その頃は誰も相手にしてくれない日々だったと記憶しています。
その後、家族に病院へ連れて行かれ、わけも分からないまま半年間精神科に入院しました。退院後は1年間家で療養生活をしていました。引きこもっていたその時期は、薬の影響からか毎日ボーッとしていて、ただ薬に生かされていたような感じだったと思います。
薬の量が減り外出許可も出ると、やっと自由になれた気がしました。散歩をしていたときでしょうか、「何かちょっと働きたいなー」とふと思って。統合失調症になってから社会と隔離されているような気がして、再び社会と関わりたいと思ったのです。
まずは短時間のアルバイトをしたいと思い、ケースワーカーに相談しました。就労継続支援B型という施設が自分には合っていると紹介を受け、そこを利用することにしました。就労継続支援B型事業所では、自分と同じような障害や、境遇にいる人たちと交流することができたことは、自分の中で大きな財産となりました。「自分は1人じゃない」と感じました。毎日が楽しかったです。
「障害者雇用に学歴は関係ない」その一言に動かされた
そこを利用してから1年半が経過する頃、「大学に再入学しなさい」と家族に言われました。しかし当時は能力が著しく低下しており、大学で授業を受けることができても、授業内容を理解して答案を書くといった行動ができない状態にありました。大学には戻れないがステップアップはしたいということで、就職することを選びました。
以前入院をしていた病院で、ケースワーカー室の前にLITALICOワークスのパンフレットがあったことを思い出しました。(入院当時、病気になった自分は次にどうすればいいか悩んでいたときに、LITALICOワークスのパンフレットが輝いて見えたことを覚えています)
病院が推薦している就労移行支援なら大丈夫だろうと思い、見学をしたのがLITALICOワークスとの出会いです。
統合失調症でありながら、一般就労で働いているという人を見たことがなく、働くのはほぼ無理だろうと思っていました。B型に通っていた自分でもLITALICOワークスに通う力があるのか、やっていけるのか、就職先はあるのか、という不安がありました。しかし、見学・体験をしてみて、その印象はガラリと変わりました。
実際の利用者と同じプログラムを受け、どんどん就職している人の話を聞いていると、ここなら自分でも就職できるのではないかと思いました。「障害者雇用に学歴なんて関係ない。自分が働けるかどうかだ(ある意味、実力主義)」と知り合いのワーカーさんに言っていただけたことが、LITALICOワークスを通うようになった最大の決め手です。
今の会社が好き。仕事をしている自分も好き。
現在の仕事は品質保証部 整備管理グループでファイルの作成、データの入力や編集、電話応対などの庶務、幅広い仕事を担当しています。
その他には会社の広報を担当する委員会にも参加させてもらい、SNSなどで会社の情報発信にも携わっています。航空業界のことは本当に無知なので、0から勉強しています。自分の扱うデータの先にレスキューの現場があると考えると「ミスをしないように」と身が引き締まります。また、自分が関わったヘリが基地へ戻るとき、飛び立つ瞬間を見るのは毎回感動します。
事務に関しては自分に任せておけば大丈夫というレベルに到達したいです。一流にはなれなくても超二流になりたいです。今は上司から言われたことをやっているだけですが、整備管理グループのローテーションに入っていけるようになりたいです。
仕事自体は大変ですが、会社は好きです。あと、仕事をしている自分が好きです。しんどいときもありますが、仕事がしんどいのではなく、仕事自体は楽しいもので、 自分のバイオリズムに問題があるのだと最近気づきました。午後ちょっぴりしんどいと感じることがあるので、その時間帯はこまめに休憩をとるなど、工夫しています。
仕事が生活の一部になってきていて、毎日何かに取り組めているというのは幸せなことであると思えるようになりました。
仕事以外にもやりたいことがあります。世の中の「統合失調症」に対するネガティブなイメージを変えたい。そのために障害のことをプレゼンしたり講演会に出たりしたいと考えています。直近の目標は、LITALICOの社長とパネルディスカッションをすることです。
色んな人が集まる場所で自分を冷静に見つめられた
LITALICOワークスで1番役に立ったプログラムは「面接練習」と「電話対応」です。
面接練習は、利用開始から就職するまでほぼ毎週スタッフと1対1で本番さながらに取り組みました。何回やったかは数え切れません。もともと面接は得意でしたが、スタッフが何度も何度も深堀りして聞いてくれたので、さらに自信がつきました。
電話対応のプログラムでは、自分の障害特性を理解できました。はじめてプログラムを受けたときは頭が真っ白になり何もできませんでした。今までできていたことができなくなっていることや、障害特性として短期記憶が弱くなっていることを、その時はじめて理解することができました。このプログラムを受けていなければ、今みたいに電話対応なんてできなかったと思います。
LITALICOワークスは特殊な環境だと思います。様々な障害のある方がいて、年齢も本人の困りごともバラバラ。でも「働く」っていう同じゴールを持っている。そんな環境の中で、多くの利用者が就職をしていく姿を見て、「自分もいけるのではないか?」と自信がつきました。
「統合失調症というハンディキャップも、薬を飲めばただの持病のようなもの。たいしたことではない」と思えるようになりました。というのも、病院→B型事業所→LITALICOワークスという異なる環境を経験してこられたから。そしてスタッフの皆さんが「大丈夫! いける!」と何度も励ましてくれたからだと思います。
障害者になってしまい、どうしようもなくなってしまった自分を助けてくれたのがLITALICOワークス。多様な障害者が集うことで自分の障害を比較・客観視することができる場所。障害とか関係なく人生を見つめ直し、何が悪かったかを考え、次の道を提示してくれた場所。
一人暮らしを再スタート
自分は障害者だと分かった時、全てに自信がなくなりました。特に入院してしまうと、今まで当たり前だった世界が、海外のように遠くに感じられます。
「大学生活と塾講師のアルバイトをしながら一人暮らしなんて、もう絶対無理」と思っていました。しかしLITALICOワークスで真剣に就職活動に取り組み、最初はボロボロだった会社員生活も定着支援サービスを利用することで乗り越えました。そして、今また一人暮らしをはじめたところです。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)は
インタビュー当時のものです。
企業からのコメント
セントラルヘリコプターサービス株式会社 (左)総務部 企画管理グループ 服部 様(右)品質保証部 山村 様
スタッフからのコメント