知的障害と二分脊椎症。障害と向き合い、仕事も生活も自立した毎日を
プロフィール
- Sさん
- 年代 : 20代
- 就職先企業 : 株式会社KDDIエボルバ
- 診断名 : 知的障害・二分脊椎症・水頭症
困りごと
- 計算や暗算が苦手
- 順を追って説明することが苦手
- 一度に色々言われると混乱する
- 体に負荷のかかる仕事は難しい
目次
目次
- ストーリー
- 生まれてすぐに分かった二分脊椎症と、その後診断された知的障害
- 自立を目指して選んだ特別支援高等学校は全寮制
- スタッフや友人など心の拠り所ができたLITALICOワークス
- 働きやすい環境に感謝。自立した暮らしも目指したい
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ストーリー
生まれてすぐに二分脊椎症の診断を受け、その後知的障害があることが分かったSさん。
高校卒業後、2年間レストランで働いた後に障害者就業・生活支援センターから紹介されLITALICOワークスに通うことを決めました。
現在は株式会社KDDIエボルバにて、事務の仕事に従事。働きやすい環境に感謝しながら、日々の仕事に向き合っています。
そんなSさんに、子ども時代のことから、現在の働き方についてお話を伺いました。
※本記事はインタビュー日の取材内容になります。
生まれてすぐに分かった二分脊椎症と、その後診断された知的障害
——Sさんは、二分脊椎症があるとお聞きしましたが、どのように診断されたのでしょうか?
二分脊椎症は生まれつきの疾患です。出生後すぐに診断され、産院からすぐに県立病院に運ばれました。背骨の中に収まる神経が、コブのようになって飛び出した状態で生まれてきたので、すぐに手術をし、その影響で腰が悪いです。水頭症との合併症もあり、脳の手術も同時期にしたと聞いています。その後知的障害があると診断を受けました。
——生まれつきの疾患なのですね。知的障害について診断されたときのことを覚えていますか?
子どもの頃のことなので、細かいことは覚えていません。気付いたときには診断されていたという感じです。二分脊椎症も知的障害も物心ついたときには自分の一部だったので、自然と受け入れています。
——小学校や中学校で苦労することはありましたか?
腰に負担がかかる運動などはできませんでした。
ドッチボールなどの球技も腰にボールが当たる可能性があるのでダメだったんです。
あとは小学生の頃から算数がずっと苦手でした。特にお金の計算ができなくて…。今もお財布のなかに小銭を溜めてしまいがちです。
小学校5年生くらいから特別支援学級に入り、中学も特別支援学級で学びました。中学では道徳や国語、給食の時間など、限られた時間ではありましたが、普通級を行き来することもありましたね。
——授業によってクラスが違うと大変なことも多そうですね。
正直あまり良い思い出はありません。限られた授業の時間だけではクラスに馴染めなくて。いじめのようなこともありました。そんな中で進路を考えたときに、高校はさらに勉強が難しくなってついていけなくなるだろうなと思い、特別支援高等学校に進もうと決めました。
自立を目指して選んだ特別支援高等学校は全寮制
——進学先はどのように決められたのでしょうか?
私が進学した高校は全寮制で、ごはんを作る以外のすべてを自分でやらなければいけませんでした。
中学までは全てを母任せにしていたので、自立したいと思っていたんです。そういった意味でもこの学校は自分に合っているんじゃないかなと思い、母にも相談しました。
母は「きっとあなたにはこの高校が合っているよ」と言ってもらえたので、安心して選択することができました。
——自分で全寮制を選ぶなんて自立されていますね。実際に進学してみて、学校生活や寮生活はどうでしたか?
2週間くらいはホームシックでした。
でも、三年間の学校生活は本当に楽しかったです。寮には寮母さんがいて、洗濯やアイロンなども教えてもらいました。もし、この学校を選んでいなかったら今もいろいろなことを母任せにしていたかもしれません。そういった意味でも、ここに進学して良かったと思っています。
——高校卒業後の進路について教えてください。
卒業までに就職先が決まらずに、職業訓練校で就職の準備をすることにしました。レジ打ちや、封入、梱包などいろいろな作業を経験しました。本当は当時から事務の仕事をしたかったのですが、障害者雇用だとなかなか難しくて…。結果的には道の駅のレストランで働くことにしました。
——レストランだと立ち仕事になると思いますが、体は大丈夫でしたか?
私の仕事はお客さまを迎えて、注文をとって、料理を運んで…というホール全般だったので、時に歩けなくなるほど腰に大きな負担をかけてしまいました。それでもなんとか2年頑張って、その後退職しました。
スタッフや友人など心の拠り所ができたLITALICOワークス
——レストランを退職した後にLITALICOワークスを利用されたそうですが、どういったきっかけだったのでしょうか?
登録していた障害者就業・生活支援センターから紹介してもらって、まずは見学に行くことにしました。アイスブレイクの様子を見せてもらって、楽しそうだなという印象でしたね。
——実際に通ってみていかがでしたか?
企業実習ができたのが私にとっては大きかったです。その時は接客をやらせてもらいました。自分の体力や調子を見るためだったのですが、やっぱり接客は難しそうだから、事務の仕事に絞ろうと決めることができました。
——LITALICOワークスで一番印象に残っていることはどんなことですか?
今も連絡を取り続けている親しい友人ができたことは今も私の支えになっています。ほぼ同時期に仕事を始めた友人は、「仕事どう?」「最近元気?」と連絡をくれる人で、私は自分から話せるタイプではないので、聞いてもらえるのがありがたいんです。また、スタッフの方にもたくさん話を聞いてもらって、助けてもらいました。
——Sさんにとって、LITALICOワークスはどんな場所でしたか?
なんでも話せる、聞いてもらえる心強い場所です。今も定着支援でお世話になっているので、心強い場所というのは変わりません。
働きやすい環境に感謝。自立した暮らしも目指したい
——今の仕事に就いた経緯を教えてください。
実は求人自体はずっと目に入っていたのですが、コールセンターという職場はものすごく堅いんじゃないかという思い込みがあって、すぐに面接を受ける気持ちにはなりませんでした。
でも、チャレンジしてみようかなと思って準備を始めました。面接は苦手なので、LITALICOワークスのスタッフの方が一緒に考えてくれたんです。でも、それをリセットして、1から自分で考えてみることに。それを見たスタッフの方が「これで大丈夫!」と言ってくれたので、自信を持って面接に挑むことができました。
——自分の想いをぶつけて内定を掴んだわけですね。実際に入社してみていかがでしたか?当初の堅いというイメージに変化はありましたか?
イメージはがらっと変わりました。皆さんが優しくサポートしてくださるのでとても働きやすい環境です。「分からないことがあったら聞いてね」と言ってもらっているので、質問しやすく助かっています。
——今はどんなお仕事をされているのでしょうか?
封入作業や郵便物のチェック、備品補充などです。封入作業は時期によって件数が変わりますが、多いときは300件以上あることもあります。
——会社に配慮してもらっていることはありますか?
重い物や大きい物が持てないことに配慮してもらっています。それ以外でも、困っていると誰かが優しく声をかけてくれるので、安心して働けるのが嬉しいです。
——今後の目標を教えてください。
働きやすい環境で働かせてもらっているので、それに応えられるように頑張りたいです。
生活面では、あとは料理ができるようになりたいと思っています。その先にあるのが一人暮らし。今は親に頼っている部分もあるので、仕事もしっかりとしながら、生活面でもさらに自立することを目指していきます。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)は
インタビュー当時のものです。
企業からのコメント
KDDI事業本部 CRM第4本部 セールスエージェント部5G 屋良 様(左)
スタッフからのコメント