双極性障害(精神障害)の仕事・就職事例 -事務-
障害を開示、苦労を経て見つけた自分の新しい価値
男性/30代/事務職/不動産
双極性障害(躁うつ病)(精神障害)
再就職後も続く不調 「うつ病」から「双極性障害」へ
大学卒業後、小学校の教員として勤務をしていたMさん。子どもが成長していく過程を見て充実感を得ていたMさんは、周囲からは教育に対して非常に熱意のある先生だと思われていました。しかし、5年生を担当した際、Mさんのクラスで子どもたちの授業中の私語や離席が多発。自体は徐々に悪化し、起こってしまいました。
Mさんはクラスの状態を修復しようと奮闘しましたが、逆効果となり休職することに。休職中は、体調が優れない日々が続きました。病院へ行くと「うつ病」と診断。全く想定していなかったので、Mさんは驚きましたが休職中ということもあり、ゆっくり休むことにしました。
「休職中は小学校のことは考えないように」と医師から言われていましたが、どうしても考えてしまい夜が眠れなくなりました。次第に昼夜逆転の生活を送ることになっていました。元々、きっちりした性格だったのですが、何をするにも気力がなく、1年ほど引きこもっていました。このままではダメ人間になると思い、奮起。これまでの経験を生かしつつ無理なく働ける求人を探しました。
悩んだ結果、障害のことは開示せず、不定期で塾講師のアルバイトをはじめました。2年間ほど続けるも、収入が安定せず退職。その後は「定収入で、子どもに関わる仕事がしたい」という思いから、求人誌で見つけた保育園のアルバイトに就きました。しかし、体調が優れず気分に浮き沈みがあった時期のことです。少し目を離した隙に子どもが大ケガをしてしまう事件が起こってしまいました。Mさんだけの責任ではないのに、周囲から退職するよう促されて言われるがまま退職しました。
退職後は人とコミュニケーションを取ることを避け、自己肯定感は下がる一方になり、体調は悪化。ストレス耐性が低下しているのに急に仕事をする、特に季節の変わり目に体調を崩すことなどから、再度通院した時には診断名が「うつ病」から「双極性障害」へ変わりました。
コミュニケーションに対する抵抗・恐怖感をなくす
Mさんは、子どもが好きという理由から教育系に絞って転職活動をおこなっていましたが、「どんな仕事が向いているかわからない」「障害を開示せず働くためのスキル・経験があるか不安」「教員免許はあるけれど、自信がなくなった」などの理由から、1人で就職活動をすることに限界を感じて、病院に相談しLITALICOワークスを利用することになりました。
Mさんは、はじめから週5日、休むこともなく安定して通っていました。しかし、ある日の面談で「うまく笑うことができない」「コミュニケーションへの抵抗・恐怖感がある」とスタッフに伝えました。そこでスタッフは、Mさんが今までの「人とコミュニケーションを通じた成功体験」を引き出し、スタッフやほかの利用者の前で話すなどのトレーニングを繰り返し、自己肯定感を上げるように支援を強化しました。
その成果がすぐに出て、他の利用者から頼りにされる・相談される存在になりました。みんなから頼られることにより、自己肯定感が上がり笑顔が見られるようになりました。そこで新たに事業所内で「就職活動プロジェクト」を立ち上げ、そのリーダーをMさんが担いました。これまで受身だったMさんは、この頃から主体的に他の利用者に働きかけ、不安・困りごとなどをヒアリングし、「就活新聞」を作成しました。この新聞を関係機関に配布した際に、「素晴らしい」「よくできている」などと褒めてもらい、コミュニケーションへの恐怖心を排除・自己肯定感アップの両方を得て、就職活動に向けて本格的に始動しました。
無遅刻無欠勤だったのに「朝起きれない」
まずはMさんのやりたいことをまとめることからはじめました。「人に何かを教えるような仕事をしたい」「堅い雰囲気の企業だと自分らしくいられない」「仕事内容よりも環境面や社風を重視したい」などと自己分析もできていたため、企業インターンを経験することに。事務職を2社、清掃業務を1社経験し、全ての企業で高評価を得ました。その中で、清掃業務のインターン先の担当者との相性が良いと感じ、この方のもとで仕事をしてみたいと考えていたところ、「清掃の仕事だけではもったいない。他の仕事で、スキルを発揮できる環境がある」と新たなポジションを提案していただきました。
提案いただいたポジションは、当初Mさんが希望していた「人に教える」人事部の研修担当でした。2週間ほど雇用前実習をおこない、正式に内定をいただきました。内定が出て、Mさんは「これでやっと迷惑をかけた家族への恩返しができる」とLITALICOワークス最終日に笑顔で話してくれました。
就職後も長く働き続けるためのサポート・定着支援の一環として、入社後すぐに面談をおこないました。LITALICOワークスに無遅刻無欠勤で通っていたMさんでしたが、実際に働きはじめると、「朝起きれない」との理由で週3日欠勤するという事態に。毎週、Mさんと上司、スタッフの3者面談を繰り返しました。よくよく聞いてみると、同じ部署に年上の当事者の方がいて、年上の方のいる環境で働いた経験がほとんどなかったMさんは、気づかないうちに委縮してしまったことが判明しました。
そこで、先輩たちの体験談「今まで自分ができなかったこと」を話す機会を設けてもらうよう、上司の方にお願いをしました。その甲斐があってか、入社3ヶ月後には無遅刻無欠勤になりました。「仕事にも環境にも慣れ、もう大丈夫です。これからも頑張ります」と胸を張ってスタッフに意気込みを語ってくれました。
※プライバシー保護のため一部の文章について事実を再構成しています。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)はインタビュー当時のものです。