アルコール依存症・うつ病(精神障害)の仕事・就職事例 -障害福祉サービス支援員-
アルコール依存症・うつ病を認めたくない
男性/40代/福祉/支援員
アルコール依存症・うつ病(精神障害)
アルコール依存症で入退院を繰り返した10年
Nさんは、学生時代からうつの症状が出ていると思っていても特に病院へ行くことはなく、新卒で入社した企業では残業やクレーム対応の多さでパニック状態・睡眠障害になり、うつ病と診断されたました。
自覚はしていたものの、自分がうつ病で障害者ということを受け入れることができず、お酒を飲んで不安やストレスを消していました。
しかし、だんだんと飲酒量が増え、朝起きれなかったり二日酔いで仕事に集中できなかったりする日が続きました。重要な取引先へ上司と共に出張する日の朝、起きることができず、上司からの電話にも出られずに気付いたら夕方に……
自分を責めるも、体が動かず何もやる気が起きなくなりそのまま仕事を辞めて、自宅に引きこもるようになったそうです。
カーテンを閉め切った部屋で、昼頃起きて夜まで飲酒を続けていたNさん。それを見た母親が、飲んだアルコールの量を見て、「病院へ行こう」と誘いました。
Nさんは「病院に行くほどじゃないし、アルコール依存症にまだなっていない」と否定しましたが、訪れた精神科では、アルコール依存専門の病院を紹介されました。そこでアルコール依存症と診断され1週間後に入院。3ヶ月で退院するもアルコール摂取を辞められず、入退院を何度も繰り返したそうです。
30代最後の年、「このままではアルコール依存症のまま人生を終える」と目覚め、断酒会やデイケアに通いながらアルバイトをはじめました。
3ヶ月くらい働いてもアルコールに手を伸ばさない自分にびっくりすると、もう1度きちんと働くことを決意を固めましたが、10年以上働いていなかったため具体的にどうすればいいか分かりません。
主治医に働きたい旨を伝えると、「今すぐは難しいから就労移行支援に通ってから」と言われ、LITALICOワークスを知りました。
過去の自分の経験を誰かのために
LITALICOワークスへ相談にきたNさんは「働きたいけれど、何ができるか分からない」という状態。「パソコンはそこそこできるけれど無資格で、10年以上働いていない40歳が何かできる仕事はありますか?」とスタッフへ質問。
Nさんと同じような悩みを持っていたり質問をしたりする方も多くいることや、働く準備が整ったら職場見学や企業インターンで体験できることを話し、「何ができるか一緒に探して就職を目指しましょう」と伝えました。Nさんは、働けるかもしれないと思い、LITALICOワークスへ通うことを決意しました。
入退院を繰り返し10年以上ブランクがあるため、はじめは週3日/午前中のみ通うことにしました。目標を立てる際に、睡眠時間を10時間確保・週3日決めた日にきちんと通うこと、就労移行支援の利用期限は2年なのでその間に就職を目指すことを提示。
この目標は2ヶ月後・半年後の目標も同じでした。2ヶ月後の評価面談で「もう目標達成できているから別の目標にしませんか?」というスタッフに、いつ崩れるか分からないからと頑なに目標を変えようとしませんでした。
後から聞いた話ですが、「アルコール依存症の人って0か100どちらかで考え方が極端になっちゃっている」とのことで、10時間睡眠を取ることは1年くらい続けていました。
時期や事業所にもよりますが、Nさんが利用していた事業所では利用者が20代30代メインで同世代の利用者がほとんどいない状況でした。しかし穏やかで親しみやすい雰囲気で誰とでも仲良く話ができるため、すぐに人気者になっていました。
ある利用者から「何でそんなに人見知りせず話せるの?」「引きこもっていたように見えない」と直球な質問に、断酒会でみんなの前で話したり聞いたりしていたからだとNさんは笑って答えました。
「壮絶な過去を笑って話せると思わなかった」とその時のことをスタッフに話しているうちに、自分の経験を悩んでいる人たちに届けたいという思いが芽生えはじめました。
いろいろな仕事を経験したい
LITALICOワークスへ週5日無理なく通えるようになると、パソコントレーニングをしながらNさんは企業見学や企業インターン先を吟味しました。自分に何ができるかをいろいろ試したいと業種・職種を絞らずに行きたい企業をピックアップし、それをスタッフへ提出しました。
Nさんの通っていた事業所では「平均4社以上企業インターンへ行くと職場定着率が高くなる」と言われていました。Nさんが提出した企業は10社近くありスタッフはここから絞るのかと思いきや、すべて見て可能性を確かめたいとのことでした。
企業インターン先からのNさんの評価は概ね問題なく、高く評価する会社もありました。スタッフと、就職先を絞るための総括をする時に「想像より体験してみないとわからないことがたくさんあった」
「接客やコールセンターは向いていないとすぐにわかったけれど、軽作業や清掃はできていると思った。しかし実際はこだわりすぎて時間がかかっていたから向いていない」「パソコンを使う事務は得意、スキャンや封入作業は得意でない」「支援員は自分が経験してきたことを話したり声をかけたりすることで悩んでいる人たちのフォローができてやりがいを感じた」など、1つ1つていねいに振り返りました。
一丸となって乗り越えた面接の壁
事務職か支援員か迷いながら、最終的に福祉業界での支援員を目指すことに決めたNさん。スタッフからの体験談を含め情報収集をしながら、模擬面接や面接シミュレーションを開始しました。
普段、穏やかで親しみやすく誰とでもすぐ打ち解けるNさんでしたが、模擬面接になると緊張で固まってしまい、あらかじめ考えておいたことが抜けて真っ白になってしまったり、ていねいに答えようとするあまり二重敬語になったりして苦戦する日々が続きました。
Nさんは企業見学や企業インターンでそこまで緊張しなかったのになぜ?と焦りました。事業所内のスタッフすべてと何度も何度も模擬面接をして、程よい緊張感を持つくらいまで仕上げることができた時に、LITALICOワークスの別事業所のスタッフと模擬面接をする機会がありました。
はじめて会うスタッフだったからか再度緊張で固まってしまい、これまでは慣れているスタッフだからそこまで緊張しなくなっていたということに気付いたNさんは落ち込んでしまいました。スタッフは「面接で緊張しない人はほとんどいない。私も面接される側だったら緊張する」と伝えると、気持ちが軽くなり再度猛練習をしました。
福祉業界での支援員へ応募するものの、なかなか書類が通らない日々が続きました。2年以内に就職するという目標期限まで3ヶ月を切ろうとしていました。
支援員以外の道として事務職にも応募しはじめた時、就労継続支援 B型事業所から面接の通知がきました。「今までは書類通過を願っていたけれど、実際通過するとどうしたらいいか分からない」と焦るNさん。
スタッフは「今までたくさん練習してきたことを発揮するチャンスがやってきたと思って、一緒に頑張りましょう」と面接に同行することを約束しました。
面接当日はやはり緊張していましたが、今まで一緒に練習してきたスタッフが隣にいるという安心材料があったため、何とか乗り越えることができました。「
何を答えたかほとんど覚えていない」と振り返るNさんに、同席したスタッフはちゃんと受け答えできていたことを伝え、結果を待ちました。
自分の障害・経験をいかせる仕事
利用期限が2ヶ月を切った時に内定の連絡が来ました。「ぎりぎり間に合った!」と喜ぶNさんでしたが、仲の良い利用者が面接で苦戦している時期だったため、小さく喜ぶにとどめました。
就職するまで3週間ほどあるため、今後について面談をした時に「生活リズムを崩したくないので週5日利用を続ける」「通いはじめたばかりの人や、見学・体験に来た人に向けて自分の障害や就活の経験をことを説明して、今後支援員としてどういうことをしていきたかをみんなの前で発表する」ことを決めました。
LITALICOワークス最終日の前日、スライドにまとめたものを投影して自身の経験や今後についてわかりやすく説明しました。「いい練習の場になりました」と満足気に笑うNさんに支援員としての覚悟を感じたスタッフでした。
就職後月1回面談をしていますが、支援員は思ったより大変だけれど今の所そこまでストレスがたまることはなくもちろんアルコールに手を伸ばすこともないと話すNさん。
20代30代に荒れた生活をしていた自分が障害のある方の支援をするとは夢にも思わなかったと職場で話していると話をしてくれています。上司からの評価も自身の経験をいかして生き生きと働いている姿が頼もしいと高評価です。
※プライバシー保護のため、一部の文章について事実を再構成しております。
※掲載内容(所属や役割、診断名など)はインタビュー当時のものです。